明るいときに見えないものが暗闇では見える。 「緑色の髪の少年 The Boy With Green Hair」(1948年製作) 監督:ジョセフ・ロージー 製作:ドア・シャリー 原作:ベッツィ・ビートン 脚本:ベン・バーズマン&アルフレッド・ルイス・レヴィット 撮影:ジョージ・バーンズ 音楽:リー・ハーライン 出演:ディーン・ストックウェル(ピーター・フライ) ロバート・ライアン(エヴァンス博士) パット・オブライエン(グランパ・フライ) バーバラ・ヘイル(ブランド先生) ウォルター・キャトレット(王様) レジス・トゥーミー(デービス) チャールズ・メレディス(パイパー) デイヴィッド・クラーク(床屋) エイリーン・ジャンセン(ペギー)他。 澄み渡った青空、風に押されて緩やかに流れる雲。美しい湖畔の風景。静かに波が打ち寄せる海の向こうに、紫色の太陽が沈んでいく。 夜更けの警察署。淀んだような署内の明かりに照らされたその少年の頭は、剃りあげられていた。少年はむっつりと押し黙ったまま係官の訊問にもかたくなに口を閉ざし、住所はおろか自分の名前すらしゃべろうとしない。こんな状態がもうすでに何時間も続いている。その頑固な態度に警察官も困り果て、ついに児童心理学の権威エヴァンス博士を署に呼び寄せた。 エヴァンス博士は訊問を急がず、おそらく家出をしてきたのであろう少年にハンバーガーを差し出した。そして、少年がハンバーガーを腹に収めて落ち着く頃合を見計らって、髪の毛をなぜ剃り落としたのかを尋ねた。少年は当初博士を信用せず、真相を話そうとはしなかったが、博士の巧みな誘導によって胸に溜まっていた鬱憤を一気に吐き出しはじめた。 「髪の毛はもう元には戻らない。手紙もうんざりだ。引っ越すたびに持っていったがもう破り捨てたんだ!」 博士は少年の気持ちを整理させるため、一体何が起こったのか、彼の生い立ちから順を追って話すよう促した。それは、優秀な医者である博士でさえも驚かされる物語であった。 今でも覚えているのは、ロンドンの家でのハロウィン・パーティーだ。雪のように真っ白でふわふわのケーキ。真っ黒く塗られたかぼちゃのお化け。ケーキに立てられたロウソクの炎が消えてしまって、思わず泣いてしまったこと。感謝祭では、パパが危なっかしい手つきで七面鳥を切り分けてくれた。クリスマスの日に早起きすると、パパとママが扉を開けて、美しく飾り付けられたクリスマス・ツリーを見せてくれた。その年には、プレゼントにかわいい小犬と本をもらったっけ。 夏…パパとママはずっと家に戻ってこない。空襲を避けるために、ロンドンを離れて叔母リリアンの屋敷にいた僕の元に、ある日一通の電報が届いた。パパもママも戦火の犠牲になってしまった。叔母リリアンは、子供用の設備がないからという理由で、寄る辺ない僕をさっさと屋敷から追い出した。いくつも寝室がある大きな屋敷だというのに! 次に向かったのは2人のいとこの家だ。でも彼らは旅行ばかりしていて、結局放っておかれた。次に厄介になった叔母メアリーはとてもいい人だった。叔父が失業して生活が苦しくなっても、変わらず僕を家に置いてくれたのだから。 でもやはりそれも無理になって、また別の親戚の家に行くことになった。大きな屋敷で車も何台も所有している家だ。僕には親戚がたくさんいたけれど、皆、子供を置いておく余裕などないと口を揃えて言う。彼らの間をたらいまわしにされた挙句、結局1人の叔父が僕を引き取った。でも叔母が病に倒れたため、治療費を捻出するために家を売る羽目になって…。 また1人ぼっちになった僕は、“おじいちゃん”と住むことになった。彼は僕の本当のおじいちゃんじゃないけどね。凄く有名な俳優だったんだ。ヨーロッパで本物の王様に会ったことだってある!衣裳部屋にいたおじいちゃんの所に、王様自ら足を運ばれて、芸を見せてくれるように願ったんだって。おじいちゃんは王様と侍従を前に歌を歌った。ステッキを持ってね。王様も一緒に歌い始めた。 僕を泣かせてみたいなら 僕のシッポを踏んでみな 僕はおじいちゃんにパパからの手紙を渡した。今まで家に置いてくれた親戚には忘れずに見せていた手紙だ。おじいちゃんは優しくて、僕の荷物を持ってくれようとした。誰もそんなことをしてくれなかったのに。そして家の中に入ると、手品師よろしく帽子から花を出してみせた。キャビネットの上には、昔おじいちゃんが舞台で使っていた小道具が所狭しと並べられている。僕を喜ばせようとしてくれたんだろうけど、僕には笑えなかった。今までずっとそうしていたように、入ってはいけない部屋と触ってはいけないものを教えてもらう方が先決だと思っていたから。おじいちゃんは呆れて、ここは僕の家なんだからなんでも自由に使っていいんだよと言ってくれた。好きなだけ住んでいてもいいと。そしてボールを手に取ると、見事な手さばきでジャグリングしてみせてくれたんだ。信じられない。これまで僕を引き取った大人達は皆、「いつまでもここにいていいよ」と言いながら、結局最後には僕を追い出した。だから、わざと花瓶を割ってみた。おじいちゃんの本音が知りたかったから。おじいちゃんは怒らなかった。僕がわざと割ったことを知っていて責めなかった。これでおじいちゃんを信用できる。パパとママが迎えに来てくれるまでの間、ここにおじいちゃんと一緒に住んでいたい、と心から思えたんだ。ここの住所をパパとママに知らせるために、手紙をいとこに送りたかった。なぜかおじちゃんは顔を曇らせたけど、ちゃんと約束してくれた。 僕の部屋には、サーカスの空中ブランコ乗りの女の人のポスターが貼ってあった。このアイリーンという人は、ある日ブランコから落ちてしまったのだという。おじいちゃんの奥さんだった人だ。それでおじいちゃんは1人でアメリカにやってきた。今夜も戦闘機の飛ぶ音が間近に聞こえる。思わず僕たちはしっかと抱き合った。おじいちゃんは僕を抱きしめながら、手紙をいっぱい積んだ航空便だとなぐさめてくれた。でも僕は1人ぼっちは怖くないんだ。3日間1人だったことだってある。洞窟で、サーカスから逃げ出した虎と一緒に過ごしたんだ!おじいちゃんにはウソだってばれたみたいだけど。 おじいちゃんは夜、レストランで歌う給仕をしている。ただの給仕ではなくて、お客さんの要望に合わせて歌を歌うんだって。僕が虎と一緒にいられるぐらいの勇敢な男だと見込んで、僕に留守番を任せてくれた。けれど、この家に暗闇の中で1人ぼっちはやっぱり怖い。するとおじいちゃんに、暗闇を悪く言ってはいけないと怒られてしまった。暗闇がなければ、いつ仕事していつ眠ればいいかわからないじゃないかって。暗闇を恐れない秘訣は、“暗いところでしか見えないものもある”と思うこと。おじいちゃんが仕事に出かけると、僕は一生懸命暗闇に目を凝らし、なにか見えるか試してみた。でも怖くて、傍らにバットを置いて眠りについた。 翌朝、帰ってきたおじちゃんに連れられて学校に向かった。家の前で牛乳配達のデービスさんとも挨拶する。デービスさんは、しっかり勉強するようにと言ってくれた。街で出会う人たちは皆、僕を見ていいお孫さんだと褒め、頭をくしゃくしゃとなでてくれる。まるで犬にでもなった気分だ!床屋さんも雑貨屋のパイパーさんまで。学校は立派な建物だったけど、僕は学校の先生は嫌いだった。前の学校では、先生に太い棒でぶたれたこともあったんだ。でもおじいちゃんは大丈夫だと請け合った。嫌がる僕を教室まで引っ張っていく。 ブランド先生を前にして、僕はおじいちゃんの言うことが正しいと思った。ブランド先生は美人でとても優しく、転校生の僕によくしてくれたんだからね。先生のおかげで、よそ者の僕もすぐ友達と打ち解けることができた。それにおじいちゃんが素敵な自転車を買ってくれたんだ。有名なベルギー人の自転車乗りのものだったとか。おじいちゃんと一緒に自転車の練習もした。僕も日用品の配達の仕事をして、自分の小遣いを稼ぐようになったんだ。もらった給金は貯金箱に入れてね。おじいちゃんはアイルランド語で感心してくれ、コインの手品を見せてくれた。悔しいことに、手品の仕掛けはわからなかったけど。こうして昼間を過ごし、夜になればおじちゃんはレストランへ。なにもかも順調だった。僕は次第に、夜1人ぼっちになることにも、暗闇にも慣れていった。 おじいちゃんと一緒に戦争孤児の救済活動もした。彼らに送る服を集めるため、おじいちゃんは車を借りて僕と子供達を乗せて近所を廻った。 愛しい馬よ はいなんでしょう ダブリンまで何マイル? 90マイルです ロウソクの明かりで帰ってこれるかな みんなで「ダブリンまで何マイル?」を歌いながらドライブ。風が気持ちよく頬に当たり、おじいちゃんの陽気な先導で自然とメロディーが口をついて出てくる。最高に楽しい。学校に到着すると、集めた服を降ろし、戦争孤児救済のポスターを貼ってまわる。この活動は、ブランド先生の大事な仕事だったんだ。僕はポスターを貼ってしばし佇んだ。戦争に何もかも奪われて、暗く目を伏せた兄妹の顔。親を探して泣き叫ぶ子供の顔。焼け跡に1人立つ少年の悲壮な顔。その少年は胸に手を当てて、祈るような沈痛なまなざしを遠くに向けていた。彼はどこを見ているのだろう。僕は魅入られたように彼のポスターを見つめ続けていた。 そのとき友達がやってきて、彼が僕に似ていると言うんだ。馬鹿なことを。彼は哀れな戦争孤児だ。でも友達は頑固に言い張った。僕も彼と同じ戦争孤児じゃないかって。僕の両親は戦争で亡くなったのだと先生が言ったそうだ。信じられない!パパもママもまだ生きている!僕は思わず友達に殴りかかってしまった。先生とおじいちゃんが止めてくれたけど、僕は怒りが収まらない。そのときおじいちゃんが、見たこともないような暗い顔で真実を教えてくれた。パパとママはよその家の子供達を助けようとしてロンドンに残り、挙句死んでしまった…。おじいちゃんは、このことを誇りに思うべきだと言ったけれど、辛いことに変わりはない。でも前から薄々わかってはいたんだ。パパとママは必ず帰ってくるんだと自分にいいきかせていた。認めるのが怖かっただけなんだ。僕が大切に持っていた手紙は、パパが死ぬ前に書きとめたものだそうだ。今読む気には到底なれないけれど…。 おじいちゃんは、僕を学校に残して車を返しに戻っていった。1人になった僕はたまらず、戦争孤児救済ポスターを引き剥がした。クラスメイトは先生に問う。僕たちが送った服は孤児の役に立っているかと。焼け跡で、病院で、裸同然で泣いている子供達には、着古した服でも大切なものだろう。僕は破ってしまったポスターを元通りにした…。彼らと僕は、なんといっても同じ境遇の人間なのだから。 アルバイトをしている雑貨屋に行くと、戦争について婦人達が噂話をしていた。僕は仕事も上の空でその話に聞き入る。軍備を強化しなければ、戦争に勝つことは厳しい状況なのだそうだ。その婦人は息子さんを戦地に送り出している。もう一人の婦人は、殺し合いは人間の本質だと言う。やられる前にこちらも迎え撃つ準備をしなければと。でも別の婦人は、殺しあう本質を変えなければ人類は死に絶えてしまうと言う。誰も戦争なんか望んではいないと。戦う準備をするだけでなく、戦争を起こしてしまう人間の考えを改めるべきなのか、あるいは平和のために戦争は避けられないものなのか。彼女たちの会話の中に僕の名前が出てきて、僕は思わず手に持ったミルクの瓶を落としてしまった。 その夜、晩御飯の食卓で僕はおじいちゃんに尋ねた。世界はいつか吹き飛んで、みんな殺されてしまうのだろうか?おじいちゃんは正直に答えてくれた。こんな夜には、そうなっても不思議じゃないと。全てが物悲しく、先の見通しははっきりしない。だからおじいちゃんは家に緑を置いている。亡くなったブランコ乗りの奥さんアイリーンは、かつておじいちゃんにこんなことを言ったんだそうだ。 “私にはわかるのに、風は知らない。狂った雄牛のように人間を襲う。春が再び訪れるのに。でも私は知っている…” どこか遠くを見るようなおじいちゃんの瞳。緑色は彼女が愛した色、春の訪れを告げる色だ。緑には平和があふれている…。でも外では空っ風が吹きつけている。うるさいほどに。おじいちゃんは僕に力強く告げた。誰がなんと言おうと世界はずっと動いていくものなのだ。僕は、瑞々しい緑色の葉を持つ鉢植えを食卓に置いた。おじいちゃんはまたまた謎かけのようなことを言う。おじいちゃんはいつも僕をびっくりさせて、悩んでいることを忘れさせるのが得意なんだ。明日の朝起きたら僕が驚くことが起こるぞって。でも今回ばかりは、僕には嫌な予感しか感じられなかった。そしてそれは次の日に現実になった…。 ![]() にほんブログ村 |
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