House of M

アクセスカウンタ

更新情報

zoom RSS 人は未来を変えられるか−「デッドゾーン The Dead Zone」

<<   作成日時 : 2014/08/06 22:09   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

その未来は、彼にしか見えない…

「デッドゾーン The Dead Zone」(1983年製作)
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ
製作:デブラ・ヒル
製作総指揮:ディーノ・デ・ラウレンティス
原作:スティーヴン・キング「デッドゾーン」
脚本:ジェフリー・ボーム&デイヴィッド・クローネンバーグ
撮影:マーク・アーウィン
音楽:マイケル・カーメン
出演:クリストファー・ウォーケン(ジョニー・スミス)
ブルック・アダムス(サラ)
マーティン・シーン(グレッグ)
トム・スケリット(バナーマン保安官)
ハーバート・ロム(ウィザック博士)
アンソニー・ザービ(実業家スチュアート)
マーティン・シーン(上院議員候補グレッグ・スティルソン)他。

恋人と結婚を間近に控えた平凡な教師ジョニー。ある日彼は交通事故にあってしまい、昏睡状態に陥ってしまう。彼が目覚めたのはなんと5年後だった。
恋人はすでに他の男性と新しい生活を始めており、子供までもうけていた。ジョニーは絶望する。さらに、相手の手に触れるだけで、その未来を見通せる超能力が備わったことに気づき戦慄する。
彼の超能力は、たちまちマスコミによっておもしろおかしく取り上げられる。テレビの取材で未来を透視する能力を実演させられ、相手から「化け物!」とののしられる一方で、アメリカ全土から行方不明になった家族を透視で探してほしいという依頼が殺到する矛盾。
ジョニーは望まぬ特殊な能力ゆえに、周囲の人々から敬遠されるようになり、次第に社会から隔絶されていく。
ある日、元恋人に将来有望な地元議員を紹介される。彼と握手したとき、彼が未来にとんでもないことをしでかすことを透視してしまう。大統領になり、やがて核爆弾のスイッチを押してしまうのだ。
ジョニーはこの議員を自らの手で抹殺する決意をする。誰も信じてくれない以上、自分が恐ろしい未来を止めるしかない。それは自分の使命なのだ。
結局、ジョニーは演説中の議員を射殺しようとするも失敗。撃たれてしまう。だがその際議員は、近くにいた赤ん坊を自分の盾にしようとした。議員はやがてその責任を問われる形で失脚する。その未来の透視に満足したジョニーは、かつての恋人に笑顔で「Good bye」を告げ、死んでいく。

画像

この作品は、スティーヴン・キングの同名原作を映画化したものです。駄作の多いキング映画化作品の中でも、数少ない成功作として筆頭にあげられるほど良質のSF映画となりました。

デッドゾーン デラックス版 [DVD]
ジェネオン エンタテインメント
2004-06-25

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


おそらく、長大な原作の中でも、人間ドラマの要素に焦点を絞った結果が功を奏したのでしょう。普通ではない“特殊な”人間に対し、彼を神と同一視して祭り上げる一方で、異物として排除しようとする人間の身勝手さ。これを端的に示すシーンが印象的でした。連続殺人事件を追う保安官に、その透視能力でもって捜査に協力するよう要請されたジョニー。保安官は彼の超能力を“神から授かった力”と表現しますが、ジョニーは恋人も職も失った自身の絶望を指して叫びます。「神が僕に何をしてくれたんだ!」と。結局、身に余る力ゆえに“化け物”として社会から抹殺されている彼には、どこにも安住の場所がないわけですね。また、ウォーケンの底知れぬまなざしが、ジョニーの背負う悲しみを時に繊細に、時に激しく、あますことなく表現し尽くしました。徐々に孤立していくジョニーが、家庭教師として雇われた少年と心を通わせていくシーンの優しいまなざし。この2人は、同じように孤独であるがゆえに共鳴しあうのですが、ここでもジョニーの“能力”が彼らの絆に影を落としてしまいます。

もし、未来に起こる悲劇的な出来事を、特に身近な人に起こるだろう悲劇をあらかじめ知ってしまうとしたら、そのとき人間は一体どんな行動を取るのか。ジョニーの場合は、その悲劇を未然に防ぐため、自身を窮地に追い込むことを承知で、あえて周囲の人間に起こりうる出来事を伝えました。よくよく考えてみれば、別にそんなことをしなくともジョニーの人生にはなんら影響はないはずなんですよね。それに、起こりうる未来を変えてしまうということは、本来、人間の手には負えない領域の話なのですから。では、なぜ彼は未来を変えようと孤独な戦いを続けたのか。ジョニー自身が優しく、また責任感の強い人間であったからとも言えますが、本当のところは、彼の拠って立つアイデンティティが、もはやその疎ましい“能力”にしかないということを、彼自身が悟っていたからではないかと思うのです。

クローネンバーグ監督は、肉体あるいは精神に変容をきたした人間が、どのような生き様を(あるいは死に様を)コミュニティー中で見せるのかというテーマに長年執着しています。キング小説を原作にいただくこの作品は、一見すると従来の“クローネンバーグ節”とは一線を画するようにも思えますが、実は根幹の部分には、社会から阻害される人間の在り様を描写するという監督の本質が隠されているのですね。ジョニーは自ら望んで変容したわけではありませんが、他人とは違った力を得たために自らの人生を変えざるを得なくなります。結局彼は、他の多くのクローネンバーグ作品の主人公たちと同様、ハッピーエンドを迎えられるはずはないのですね。なぜなら、望むと望まざるとにかかわらず“変容”した人間は、その時点でもはや普通の人間ではなくなるのであり、従って社会には存在できなくなるからです。

ラスト、あきらめではなく、すべての事実を受け入れ達観してこの世から旅立ったジョニーのまなざしはとても穏やかでした。やっと苦しみから開放された彼の魂は、間違いなく安らかに眠るのでしょう。彼の見た“最悪の未来”は、果たして本当に防がれたのでしょうか。それは、彼のみが垣間見ることのできるビジョンでしか確かめ得ません。つまり、彼以外の人間の目には、ジョニーのやったことというのは、やり手の有能な政治家候補を暗殺した凶行としか映らないわけですね。

初期のクローネンバーグ作品に顕著な、主人公以外の人間の視点が入らない極めて主観的なストーリーテリングにより、ジョニーの抱える悲しみが結局誰にも理解されずに終わってしまった恐怖が、映画を観終わった後に押し寄せることになるのです。クローネンバーグ作品の“恐ろしさ”というのは、実はその一点にこそあると言えます。グチャドロ特殊メイクというのは(笑)、あくまでも付け足しに過ぎないんですよ。主人公の経験する“変容”が、周囲の人間に全く理解されない恐怖。これは、クローネンバーグ監督自身が抱える恐怖の源泉でもありますね。だからこそ彼のホラー作品は、いつも心の奥底まで冷え切ってしまうような寂寥感と哀しみに包まれているのでしょう。

公開当時、兄と一緒に観たことを覚えています。兄がどうしてこの作品を観ようという気になったのかはわかりません。でもおかげで、私はこの作品で初めてスクリーンの裏側にいる“監督”という存在に魅せられることになったのです。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

にほんブログ村

人は未来を変えられるか−「デッドゾーン The Dead Zone」 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる