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zoom RSS I am “Man”!−マイケル・マン Michael Mann

<<   作成日時 : 2011/10/19 14:00   >>

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彼は男の生き様を“ドキュメント”する。

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マイケル・マン 
1943年2月5日生まれ
アメリカ、イリノイ州シカゴ出身

マンは1943年に、シカゴのユダヤ人居住区で、ウクライナ系である父親ジャックと母親エスターの間に生まれた。彼がティーンの頃は、シカゴのブルース音楽シーンの真っ只中におり、彼の音楽への高い関心はこの頃から培われていたと思われる。ウィスコンシン大学へ進んだ彼は英文学を専攻するが、歴史学や哲学、建築学などにも深い関心を持つようになった。まさにこの頃、キューブリック監督の「博士の異常な愛情」を初めて目の当たりにし、“映画”という芸術形態に衝撃を受けたのである。
ウィスコンシン大学を卒業後、1960年代半ばにロンドンのマディソン・アンド・インターナショナル・フィルム・スクールへ進んだ。フィルム・スクールを終えた後もそのままロンドンに残り、アラン・パーカーやリドリー・スコット、エイドリアン・ラインなど、後に名フィルムメーカーとして名を馳せる人々と一緒にコマーシャル・フィルムを製作した。1968年に初めて撮ったドキュメンタリー用のフッテージ・フィルムがNBCで放映され、その経験を基に製作した短編で、1970年度カンヌ映画祭で賞を得ている。
初婚の妻と1971年に離婚した後アメリカに戻り、引き続きドキュメンタリーや短編を製作する。1974年には、ロバート・リューインの手引きで、テレビ・シリーズ「刑事スタスキー&ハッチ」のパイロット版のための脚本を手がける。引き続き同シリーズの脚本家として働き始めたマンは、刑事から小説家に転身した作家Joseph Wambaughと共に「ポリス・ストーリー/潜入」というテレビ・ムービーの脚本を完成した。この作品は、その頃にはまだ珍しかった、警察官のハードな毎日の様子をリアルに描いたものであり、その後のマンの作風に大きな影響を与えることになった。彼の最初の長編作品は、「ジェリコ・マイル/獄中のランナー」というテレビ・ムービーだが、これはヨーロッパでは劇場公開されている。今作は、1979年度エミー賞などで受賞の栄誉を受けて高く評価された。その2年後の1981年には、「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」で正式に劇場用長編映画デビューを果たした。しかし、マンの名前を一躍ポピュラーにしたのは、なんといっても一世を風靡したテレビ・シリーズ「マイアミ・バイス」であろう。彼は同シリーズではクリエイターとして参加せず、自身のプロダクションで製作総指揮に専念していたが、同シリーズでテレビにおける犯罪アクションものの新傾向を作り出した。2006年には自ら同シリーズを映画にバージョン・アップさせている。「マイアミ・バイス」にせよ、後のテレビ・シリーズ「クライム・ストーリー」にせよ、その演出スタイルとキャスティング・センスには、マンの映画作品のそれと同じものが感じられる。
優れた映画作家の常として、マンにも独特の映像センスが挙げられる。ドラマティックな効果を狙って、淡い青色や無菌室的な白色を強調した絵作りをしたり、海や川を背景としたシーン、あるいは雨が降っているシーンの挿入など、水の質感を生かした絵作りが特徴である。劇中に、はるか上空を見上げるシーンや、物語の舞台となる街を俯瞰するシーンなどを挿入することでも知られている。また、夜のシーンがストーリー上のハイライトになっている場合が多い。建築にも造詣の深いマンならではのこだわりとして、映画の背景にアール・デコ調のクラシカルな建築物を配することもある。サウンドトラックに、ポップスやロック・ミュージック、アンビエント・ミュージックなどを使用して、他の同傾向の作品とは一味違った雰囲気を醸し出している。もうひとつ、マン映画の特徴として、オープニング・クレジットやオープニング・タイトルなしで映画が始まることもある。映画のガン・アクションに、いち早くコンバット・シューティングを採用したことでも有名なように、劇中で使用する拳銃の型にまで愛用のものがあるほど、ガン・アクションの演出にはこだわりを持っている。昔も今も、取り上げる題材の多くは、犯罪者、あるいは警察官の生態である。撮影時にはほとんど必ず、本物の犯罪者や警察関係者、退役軍人たちをアドバイザーとして雇い、映像にリアリズムを強調することを心がけている。しかし、例えば犯罪者集団のリーダーを一匹狼として描写することを好むように、演出は犯罪者寄りの解釈を施すことが多い。またマンは、自作品の多くでセットを故郷シカゴで組み、またキャストの多くをシカゴやその近辺から集める。デニス・ファリーナやウェス・ステューディ、トム・ヌーナン等、気心の知れたキャスト、あるいはカメラのダンテ・スピノッティなど、何度も一緒に仕事をした“ファミリー”と撮影に臨むことを好んでいるようだ。
1986年には、映画界随一のアウトロー・キャラクター、ハンニバル・レクターの生みの親として知られるトマス・ハリス著の「レッド・ドラゴン」(レクター博士が最初に登場する作品)を最初に映画化した(映画公開時タイトル「刑事グラハム/凍りついた欲望」)。マンは、小説の脚色、及び実際の撮影に延べ数年を費やしており、レクター博士役にはブライアン・コックスを起用している。後年同作をリメイクした「レッド・ドラゴン」(ブレット・ラトナー監督)や「羊たちの沈黙」でレクター博士を演じたアンソニー・ホプキンスの役作りとは異なり、マンはレクターに、“怪物”ではなくもっと地に足をつけたリアルなキャラクター造形を施している。それから、マンはトム・ヌーナンが演じたフランシス・ダラハイドの背中に、ウィリアム・ブレイク画の“レッド・ドラゴン”の刺青を入れようと考えていたが、刺青はダラハイドの混沌とした内面を視覚的に安っぽく見せてしまうのではと恐れ、結局そのアイデアは没にしたという。2002年にリメイクされた際には、ブレット・ラトナー監督によって、そのアイデアが採用された。
1990年代は、マンにとって最も脂ののった時期となった。映画界において、彼が作品の質においても興行面においても秀でたクリエイターであることを証明して見せたのだ。ジェイムズ・フェニモア・クーパーの古典的小説「モヒカン族の最後」を映画化した「ラスト・オブ・モヒカン」(1992年)、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノが男の矜持をかけて対峙する「ヒート」(1995年)、ラッセル・クロウが企業内告発を巡って苦悩する「インサイダー」(1999年)と、実際の作品数こそ少ないが、綿密なリサーチを重ねた上で実現したこれらの作品は、出演陣の熱演もあってリッチな奥行きを備えた、それでいて実にマンらしい映画に仕上がっている。特に「インサイダー」では、ついにオスカーの監督賞にノミネートされるまでに至った。またマンは、2000年から2006年にかけて、“Board of Governors of the Academy of Motion Picture Arts and Sciences”のメンバーに選出された。その後は、脚本家のShane Salernoと共に、南カリフォルニアにおけるドラッグ取引の実態を描く画期的な映画の企画に挑戦していたマンであったが、スティーヴン・ソダーバーグ監督のライバル企画「トラフィック」に後塵を拝してしまった。
2001年製作の「アリ」は、主演のウィル・スミス自身の希望でマンがメガホンをとることになったのだが、このチョイスに怒り狂ったのがスパイク・リー監督である。リーはことあるごとに、アリを色眼鏡なしで正当に描けるのは、同じ黒人の映画監督である自分だけだと公言したという。こういった外野の騒音にもかかわらず、出来上がった作品でのスミスの演技は高く評価され、オスカーの主演男優賞にノミネーションを受けることになった。また今作で、マンはもうひとつ新しい試みに挑戦している。デジタルカメラの導入だ。他の監督と違い、彼は思い通りのシーンを撮るために、自分でカメラを動かすことを好む。次の監督作である「コラテラル」では、外の撮影シーンの全てをデジタルカメラで撮影した。デジタルカメラは、彼の監督作品で重要な夜のシーンをクリアに撮影するのに効力を発揮するからであるが、フィルムを用いる伝統的な撮影技法とデジタルカメラでの撮影のどちらを許容するかで、現在議論が沸き起こっているらしい。2004年のスコセッシ監督作品「アビエイター」も、当初は彼が監督する予定であった。しかし、「アリ」に続いて伝記映画を撮ることに悩んだマンは、同作では最終的に製作に専念し、自身は「コラテラル」でメガホンをとることになった。
2007年の「キングダム/見えざる敵」や翌2008年の「ハンコック」では製作に専念したマンは、2007年秋、ナイキのコマーシャル・フィルムを撮っている。
そして2009年には、ユニバーサル・ピクチャーズの下、ジョニー・デップ主演で「Public Enemies」を監督した。今作は、ジャーナリスト、ブライアン・バローズのノンフィクション『Public Enemies: America's Greatest Crime Wave and the Birth of the FBI, 1933-34』を基にしたものであり、デップ演ずる稀代のアウトロー、ジョン・デリンジャーと、彼を死に追い込んだFBI捜査官メルヴィン・パーヴィス(クリスチャン・ベイル)の戦いを描いた作品だ。

●フィルモグラフィー

2008年「ハンコック」製作のみ
2007年「キングダム/見えざる敵」製作のみ
2006年「マイアミ・バイス」兼製作&脚本
2004年「コラテラル」兼製作
2004年「アビエイター」製作のみ
2003年「バッドアス!」製作総指揮のみ
2001年「ALIアリ」兼製作&脚本
1999年「インサイダー」兼製作&脚本
1995年「ヒート」兼製作&脚本
1992年「ラスト・オブ・モヒカン」兼製作&脚本
1991年「DEA/コロンビア麻薬戦争」(TVムービー)製作総指揮のみ
1990年「ドラッグ・ウォーズ/麻薬戦争」(TVムービー)製作のみ
1989年「メイド・イン・L.A.」(TVムービー)兼製作総指揮&脚本
1986年〜1988年「クライム・ストーリー」(TVムービー)製作総指揮のみ
1986年「刑事グラハム/凍りついた欲望」兼脚本
1986年「マイアミ5」製作総指揮のみ
1985年「マイアミ・バイス」(TVムービー)製作総指揮のみ
1985年「マイアミ・バイス2/ニューヨーク・コネクション」(TVムービー)製作総指揮のみ
1984年〜1989年「特捜刑事マイアミ・バイス」(TVシリーズ)製作総指揮のみ
1983年「ザ・キープ」兼脚本
1981年「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」兼製作総指揮&脚本
1979年「ジェリコ・マイル/獄中のランナー」(TVムービー)兼脚本
1979年「白銀に賭ける恋」(TVムービー)脚本のみ
1978年「ポリス・ストーリー/潜入」(TVムービー)脚本のみ
1975年〜1979年「刑事スタスキー&ハッチ」(TVシリーズ)脚本のみ

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パリ滞在時、ちょうどBercyの巨大シネコンで、マン監督の監督作品特集が行われていました。処女作の「ジェリコ・マイル」など、スクリーンで観ることの叶わなかった作品も上映され、なかなかにコアなラインナップでありましたね。「Public Enemies」封切りに連動した企画だったのですが、実際に「Public Ebemies」を観てしまうと、やっぱりもう一度過去作のマン節に浸りたい…!と痛烈に思いますね(笑)。

しかしながら、世間一般的なマン監督への評価は、特に日本においては実はそんなに高くないと睨んでいます。3次元的な空間撮りや男の美学を引き立たせるクールな絵作り、最新撮影技術への並々ならぬ関心も含め、映像へのマニアックなこだわりの一方で、キャラクター解釈やストーリー展開の演出に今ひとつ物足りなさを感じている観客も多いように思うので。彼の作品に関してよく目にするレビューが、“絵は相変わらずいいんだけど、物語の深みに欠ける”というもの。これは、正直私も常々感じている不満ではあるのですが、しかしマン監督の映像作家としてのバックグラウンドを考えると、致し方ない面もあるように思いますね。

前述したように、マン監督はドキュメンタリーを撮ることで、映像作家としてのキャリアを出発させました。ドキュメンタリーというのは、ご存知の通り、対象となるものの姿を可能な限り客観的に撮ることを意味します。つまり、映像にごく私的な感情が絡んではいけないのですね。対象を映像に乗せる以上、客観性はそこでだいぶ削がれてしまうわけですが、対象の解釈の仕方についても出来うる限り、集めたデータに基づいた客観的な結論を求められるのです。カメラを持つ自分自身の想像や希望等を差し挟まず、あくまでも客観性に徹して対象に対峙する姿勢は、マン監督の映画監督としての重要な素地であるように感じます。おそらく、キャリア初期におけるドキュメンタリー作家としてのそうした修練が、そのまま現在のマン監督の演出手腕となっているのでしょう。描く対象の内面にまで今一歩踏み込まない、微妙な距離を保った目線が、フィクション作品においても突き放したような“客観性”を失わない彼の作品の特徴であるとも言えるし、観る者の不満をくすぶらせる要因であるとも言えるのです。

視覚に訴える芸術である映画は、こと感情のうねりを顕著に観客に伝えますよね。しかし、マン監督作品にはそれがほとんどない。直載的な表現を避け、極力抑えた描写に留まるため、どんなにエモーショナルな場面でも、ある種の醒めた感覚がスクリーンを支配するのです。しかも、劇中に登場する人物たるや、犯罪者だろうとそうでなかろうとストイックな人間であることが圧倒的に多い。だって、男と男の戦いの物語なんですもの(笑)。感情を剥き出しにする女子供の出る幕は、彼の作品に関してはあまりありません。ですから女性客には、マン監督の映画はいろいろな意味で大層不人気であると思います(笑)。

しかし、感情をあらわにするのが苦手な日本人である私は、エモーションのマグマから絶妙な距離感を保ち続ける彼の作風が、非常に肌に馴染むのです。ドキュメンタリー作家出身らしく、描く対象へのリサーチに執念深いものを感じるのもいい。入念なリサーチに基づいて、目に見える映像は限りなくリアリティ重視、わざとらしい小手先のフィクション演出には頼りません。そして、作品以外の部分で漏れ聞こえてくる、彼自身の真の“男らしさ”を知るにつけ、ますますマン監督への興味は尽きないのですね。

その作品傾向や嗜好に共通点が多いことから、インディペンデント映画界で頑張っている監督アベル・フェラーラと大親友であるというのが、なんとも嬉しいじゃありませんか(笑)。フェラーラ監督作品では、クリストファー・ウォーケン主演のギャングもの「キング・オブ・ニューヨーク」がいっとう好きな私ですが、なんとなく、アングラとメジャーの曖昧な境界線上にある作風は、両者に共通する特徴ですよね。そして、これも結構有名なエピソードなんですが、1985年に「L.A.大捜査線」を製作したウィリアム・フリードキン監督は、マンが「マイアミ・バイス」を製作した際に、同作品のアイデアを勝手に盗んだとクレームをつけたんですね。「L.A.大捜査線」に主演したウィリアム・ピーターセンは、後にマン監督の「刑事グラハム/凍りついた欲望」に主演することになるのですが、この問題は皮肉なことに法廷で争われることになってしまいました。結果的にマンは敗訴します。にもかかわらず、この大きなトラブルを乗り越えて、2人は非常に親しい友人同士となったというのですよ。普通はね、こんな遺恨のある相手と友達になろうとは思わんでしょ(笑)?そこをあえて、才能を認めた人間にはきちんと筋を通すのがマン監督ならでは。この話を聞いたとき、マン監督は本物の“Man”だとつくづく感心したものです。キャリアとは余り関係ないかもしれませんが、マン監督に関するエピソードで好きなのは、1974年に再婚した奥様サマーさんと、離婚も別居もすることなく現在も仲睦まじいという逸話。数ヶ月でくっついたり別れたりするカップルばかりのハリウッドにおいて、地に足をつけたそんな堅実さが、彼の作品にもにじみ出ているような気がしますね。


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