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zoom RSS 芸術と煩悩の狭間にあるもの―「カストラート Farinelli Il Castrato」Part2

<<   作成日時 : 2016/03/17 12:54   >>

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神の創りし声ー「カストラート Farinelli Il Castrato / Farinelli」(1994年)が生きた時代と映画。


18世紀のヨーロッパには、天使の歌声とも称されるボーイソプラノを保つため、去勢された歌手が存在しました。

絢爛豪華たるバロック文化が爛熟の時を迎えた18世紀、音楽の世界も格段の進化を見せ、現在までも伝えられる数々のオペラ作品が創作されました。叙情的な主旋律は美しい装飾音で彩られ、オペラという音楽形態にはことさらエレガンスが追及されていきます。娯楽の少なかった当事に於いて、劇場であるいはほんの街角で催される音楽演奏は、人々が唯一日々の生活の慰めを見出させる場でもありました。それこそ、貴族も一般庶民も身分の上下関係なく、人々は美しい音楽と素晴らしい歌い手の声の虜となったのですね。彼ら観客の熱狂が後押しし、バロック・オペラはますます成熟の極みを目指していくことになります。
そして才能豊かな作曲家は、神の声を譜面に写し取る役目をつかさどっているとまで考えられ、またその旋律を歌いこなす優れた歌い手は、神の声を実際に人々の耳に届ける崇高な存在とみなされました。つまり、才能ある歌手であればあるほど、その歌手はより神に近くなり、一種の宗教的熱心さでもって人々に崇め奉られたわけです。その認識たるや、今でいうところのロックやポップスのスーパースターの比ではなかったと思われます。さて、現代でも、ウィーン少年合唱団の歌声は“天使の歌声”と比喩されますね。そこには、昔も今も変わりなく、“天国”の存在を夢みる人間たちの憧憬が暗示されています。手の届かぬ世界である天国を、少年たちの一点の穢れもない清らかなる声によって垣間見たいという、人々の願望が表れているのです。

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現在ではともかく、18世紀当時においては、少年の澄み切った歌声こそ、何物にも変えがたい至上の美とされていました。ですから、美しい高音を出すことの出来る少年の中には、成人してその声が失われないようにするため、去勢してしまう者もいたそうです。肉体の成長は止められないものの、去勢によってホルモンのバランスをあえて崩し、声変わりを防いだのですね。彼らは大人の男性でありながら、少年そのもののボーイソプラノを成人男性の肺活量と声量で歌うことが出来、ときには女性歌手でさえ発声することが困難な超高音域まで歌いこなしました。その歌声は、まさしく聴く者を天へと誘う至高の声であったでしょうね。この映画の中でも描写されていましたが、彼らの声を聴いた観客が失神したりするといった表現が、映画的誇張ではなかったことが容易に推察できます。こうした歌手のことを総称して“カストラート”と呼び、この作品で取り上げられたファリネッリは、中でも最も優れたカストラートと称賛された実在の人物でした。

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またカストラートは、去勢されているとはいえ、閨において女性を満足させることにはなんら支障はなく、しかも生殖能力を持たぬゆえに相手を妊娠させる心配もありません。当時の宮廷女性たちは、自身の無聊を慰めるためにこぞってカストラートを愛玩しました。ために、カストラートは、国家権力の中枢である宮廷で渦巻く権謀術数に巻き込まれやすく、政治的駆け引きの道具にされてしまうことすらあったようです。この作品では、ファリネッリら音楽家たちが心ならずも、英国王の主催する国王オペラと王太子の主催する貴族オペラのいがみ合いに巻き込まれて苦悩していましたね。その背景には、国王派の貴族と反国王派の貴族の深い対立という事情があり、国王は天才作曲家ヘンデル(オペラ『リナルド』のアリア、“涙あふるる”でつとに有名)をたて、王太子はイタリアの作曲家ニコラ・ポルポラを擁して互いに競い合ったわけです。

史実によりますと、ファリネッリは容姿も端麗で、華やかな女性関係の逸話には事欠かなかったようですね。情事の相手には貴族の女性もたくさん含まれていましたし、そのせいで彼がなんらかの政治的陰謀の一端を担ってしまっていても不思議ではありません。逆に言えば、生まれは貧しくとも(ファリネッリもその兄リカルドも貧しい出自であった)歌の才能さえあれば、いかようにでも権力の中枢に近づくことが出来るのです。自然の摂理に反し、もちろん人道的立場からも許されない行為である去勢をしてまでも、奇跡の歌声をもって人々の賞賛を得たいと願う者が表れても不思議ではありませんね。また聴衆の方でも、社会において禁忌の存在だとわかっていながら、カストラートの声を崇拝し、盲目的に求めずにはいられませんでした。カストラートの声に神の啓示を重ね合わせたい、もっと言えば、その歌声によって魂を救われたいと願ってやまなかったからです。“カストラート”に対する双方の度を超えた欲求が、去勢という行為を助長してしまったともいえますね。カストラートとは、当時の社会の精神的均衡を保つため、やむにやまれず生み出された“必要悪”であったのです。

とはいえ、やはりカストラートは、18世紀ヨーロッパ社会の精神性の根幹を成していたキリスト教的モラルからは逸脱した存在でした。キリスト教会は、彼らの存在を黙認する代わりに結婚することを固く禁じます。またカストラートの声を求めてやまぬ大衆も、精神的な意味合いにおいては彼らをことさら蔑んでもおりました。カストラートが子種を持たず、よってキリスト教の教えに反する不具者であるという事実が、否応なく大衆の彼らへの認識を縛ってしまっていたのです。劇中ファリネッリも、周囲の人々からことあるごとに去勢者であることを責められます。彼が去勢されたいきさつを考えれば、その中傷は全くもって理不尽で、彼の心を引き裂くのに充分ではありました。天才歌手ファリネッリの苦悩とは、実はこの一点に尽きるのではないかと思うのです。彼とて音楽界で名を上げたいと願う野心がなかったわけではなく、もちろん聴衆の歓喜も熱狂も拍手も、自身の才能に値するという自負があったでしょう。音楽という芸術に魂を捧げる喜びもあったはず。しかしながら、その目もくらむような賞賛と名誉の代償は、一生社会に居場所を見出せないまま、大衆の欲望が生み出した奇形として、人々の好奇の視線にさらされるという残酷なもの。しかも、彼の唯一の財産である声が出なくなれば、その名誉すら幻と消えてしまいます。男でも女でもない彼は、結婚して子を成し家庭を築くという、ごく当たり前のささやかな幸せすら得られない運命にもありました。人間らしく生きることを許されず、ただ歌う機械となって大衆の欲求に奉仕し続けるのみ。音楽史に名を残すことの代償としては、余りに痛ましい現状ではないでしょうか。結局ファリネッリは、己のアイデンティティの拠って立つところを探して苦悶するのです。

カストラートを巡る執着や欲望は、現在なら別の事象に置き換えることも可能でしょう。例えば、永遠の若さや完璧な美貌に固執して、怪しからぬ美容整形に大金をつぎ込む銀幕のスターたち。手に入れられないものを追い求めて、自然の摂理を曲げてしまう彼らの執念と、それを容認してしまう大衆の貪欲さ。まこと、人間の欲求というものには際限がないわけです。この18世紀の歌手の物語に普遍性を感じるのは、こうした人間の身勝手さと陰鬱な業の深さが描写されているためでしょうね。

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ファリネッリことカルロとその兄リカルドの関係は、傍目には異様とも思えるほどの相互癒着、共依存の様相を呈していました。セックスとはすなわち子孫を残す行為であるという認識が常識であった18世において、生殖能力を持たぬ男など、人間以下の扱いであったことは想像に難くありません。カルロが1人で女を抱くことも出来なかったのにはそういった事情があり、だからこそ、カルロとリカルド兄弟は2人で1人の女を共有したのです。リカルドが弟の唯一の泣き所であるセックスを補完してやったのは、完全無欠の天才歌手である弟を支配し、その才能を成功のための道具として操るために必要なことでした。なんといっても、リカルドには音楽的才能が皆無であったわけですからね。彼が音楽界で成功するためには、優れた歌手である弟の存在が不可欠だったのです。カルロはセックスの面で兄に依存し、リカルドは栄誉のために弟に依存しきっていました。もっとも、彼らの病的な共依存を理解するためには、イタリア人の血の絆の強固さというものも頭にとどめておかねばならないでしょうが。
こうして兄弟はいつしか、音楽という芸術と性という煩悩によって、精神面においても深く楔を打たれることになります。しかしながら、絶対的才能の持ち主であった弟に比べ兄は絶望的なまでに無能であったことが、彼ら2人の関係性における悲劇の根源でありました。「アマデウス」のサリエリとモーツァルトの確執よりも、彼らの関係が一層その悲劇の度合いを深めているのは、とりもなおさず彼らが血の通った兄弟であるからです。

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己の野心のために弟を去勢してしまったリカルドは、弟への後ろめたさと贖罪のために作曲を始めました。それを知ったカルロは、全ての苦悩の要因を作ったのが愛する兄であるという苦痛を乗り越え、宿敵ヘンデルの音楽の真価を大衆に知らしめるために一世一代の歌を披露します。彼は神に等しい存在となり得、歴史に名を刻みました。このことが兄への依存を断ち切るはずみとなり、彼は完全に“自立”を果たしたといえるでしょう。一方リカルドはといえば、相変わらず弟の影法師としてしか己のアイデンティティを見出せぬまま。哀れとしか言いようがありません。しかし私たち凡人にとってはやはり、至高の才能に恋焦がれつつも永遠に手が届かず、やがて弟にすら見捨てられてしまう彼の悲劇の方に、より近しい共感を感じてしまいますね。

監督を務めたのは、「仮面の中のアリア」「めざめの時」などを手がけたジェラール・コルビオ Gérard Corbiau。彼はベルギー出身で、一貫して音楽を主題とした作品を手がけている人物です。実在した伝説のカストラートの実態に迫るため、彼はファリネッリの歌声を再現することに心を砕きます。ファリネッリを演じたステファノ・ディオニジが口パクで演じた映像に、本職のオペラ歌手の歌声を当てました。ところが、現在のカウンターテナーにはファリネッリの超高音域の声は出せないため、ファリネッリのレパートリーの曲を2分割し、高音域はソプラノ歌手エヴァ・マラス・ゴドレフスカに担当させ、低音域はカウンターテナーのデレク・リー・レイギンに担当させました。2人の声の録音を元に、フランスの電子音楽研究機関IRCAMがコンピューターによって音声変換を試みたのです。エヴァの声をデレクの声質に出来る限り近づけ、3オクターブ半の声域を誇ったと言われるファリネッリの声を生み出しました。映像と合成された歌声は、本当に男性の声で超高音域が歌われているような錯覚を引き起こすほど、不自然さは感じられません。私はこの作品が日本で公開されたとき、劇場の中で素晴らしい音響効果に包まれつつ鑑賞したのですが、ただただファリネッリの声に圧倒されたものです。映画のサントラ盤も発売されていますが、どうやらサントラ用に新たに録音しなおした音源とみえます。やはりカストラートのこの世ならぬ歌声を実感するためには、映画そのものをご覧になるのが一番かと思われますね。

豪華絢爛なバロック文化を映像に再現するため、衣装から小道具に至るまですべて、実に手の込んだ準備がされました。撮影は、「無伴奏『シャコンヌ』」など、やはり音楽映画にゆかりの深いワルテル・ヴァンデン・エンデ。デコラティヴな衣装の数々をデザインしたのは、フランス映画界で活躍するオルガ・ベルルーティです。映画全般にわたって優雅に流れる音楽を担当したのは、古楽アンサンブル“レ・ラタン・リリック"を率いていることでも高名なクリストフ・ルセです。彼はオリジナルの楽曲のアレンジとオーケストラの指揮も行いました。

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ファリネッリの苦悩を美しい容姿で演じきったのは、この作品で主演デビューを飾ったステファノ・ディオニジ。彼の中性的な美貌と繊細な演技がなければ、ファリネッリの存在感にリアリティーを与えることはできなかったでしょうね。天才らしい傲慢さと、反面ちょっとしたショックで倒れてしまうほどの脆弱さ、音楽に命を捧げる真摯さでもって運命に打ち勝つ姿を、ほとんどでずっぱりの熱演で表現しました。彼は後に「暗い日曜日」にも出演しています。
兄弟の宿敵となる天才作曲家ヘンデルをアクの強い演技で演じたのは、オランダの名優ジェローン・クラッベ。ヘンデルは、天才ゆえに常に他者に対し威圧的な態度をとりつづけるという、煮ても焼いても食えない男です。しかしながら、その確かな音楽センスで直感的にファリネッリの怪物的な才能を見抜き、彼が創作の神でさえも食い殺さんばかりの声を持つことに恐れおののきます。と同時に、本心ではファリネッリの至高の声に焦がれているわけですね。ファリネッリという時代の仇花を愛しつつも憎むというアンビバレントなジレンマに苛まれるヘンデル。クラッベは時に哀愁を漂わせる表現で、観客の興味を引き付けました。
もうひとつ、この作品に現実味を付加しているのはセリフの言語です。兄弟同士が会話する際にはセリフはイタリア語、兄弟がヘンデルや貴族オペラの主催者マーガレットといった外国人と会話する際には、セリフはフランス語になります。また、ヘンデルがロンドンの借金取りとやり取りする際には、セリフは英語になっていますね。当時のヨーロッパ貴族社会では、公用語は英語ではなくフランス語であったわけで、映画にそういった細やかな配慮が施されている部分は評価されていいと思いますよ。
とはいえ、上映時間の関係からか、全体的に説明不足のきらいもあります。ファリネッリの内容の濃い人生を駆け足でなぞったという感がぬぐえないのは、残念ですね。テレビシリーズかなにかで、じっくり観てみたかった題材であります。

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そして、フランスが誇る現代のカウンターテナー歌手、フィリップ・ジャルスキー。まだ20代前半という若さの天才歌手でして、ファリネッリの活躍したバロック時代の楽曲を得意としているそうです。このアルバムの中にも、あのヘンデルが作曲した曲目も含まれています。ルックスもなかなかキュートですし(笑)、今後は母国フランス以外での人気上昇も期待できるのでは。

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